芸能・アイドル

2012年12月15日 (土)

ジジイでもカッコイイぜジュリー

 原発NOとちゃんと自己主張を明確にするジジイはステキだぜ。日頃世の中に怒りがあると叫んでるくせに肝心なときに黙ってしまう腑抜けな野郎どももいる中でさ。誰とは言わんがね。

 東京8区のみんな! ジュリーも太郎もカッコイイと思わないかい?

沢田研二が応援演説「昔ジュリー…今ジジイ」』
2012.12.15 05:02
http://www.sanspo.com/geino/news/20121215/pol12121505030007-n2.html

こんなニュースだぜ。
歌手のジュリーこと沢田研二(64)が14日、東京8区(杉並区)から無所属で出馬した俳優の山本太郎氏(38)の応援に駆け付け、JR荻窪駅前でともにマイクを握った。応援演説は初めてという沢田は「昔ジュリー、今ジジイ」などと約500人の聴衆の笑いを誘った。

 「選挙の応援は初めてです。思うことがいっぱいある。とにかく選挙に出ている人は国難といっているが、原発をやめるのが一番大事なこと」

 午後6時過ぎのJR荻窪駅前。白いコートにサングラス姿の沢田がマイクを握ると、「ジュリー」と黄色い歓声が飛んだ。さほど広くない歩道には人があふれ、押し合いへし合い。通りがかりの子どもが巻き込まれ、倒れそうになったほどだった。

 沢田は福島第1原発事故後、脱原発活動に参加。今年3月には脱原発ソング「F・A・P・P」を発表した。一方の山本は特に中高年層への浸透に苦戦しており、“同志”のジュリーの応援で一気に追い上げようとの皮算用だ。ただ、沢田がマイクを握ったのはわずか5分ほど。「2時間半でもしゃべっていられるが、聞く方は大変でしょうから」と早々に会場から去った。

(紙面から)』

引用は以上。

 500人? もっといたはずだと思うぜ。人類全員が集まったかのように見えたんだけどな。

「F・A・P・P」は穏やかな曲調だけど、言いたいことはきちんと歌詞にしてる感じサ。聴いてみるかい?

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=SLvGSkYQGso

終息していない福島♪  とか
偽善や裏切りも これ以上許すの 何を護るのだ国は♪  とか
NO 長崎 MORE 広島 人は何故 繰り返すのか あやまち

2012年7月15日 (日)

矢沢、原発について発言

ローリングストーン日本版8月号で
『関係者が誰もケツ拭かない国に明日があると
思いますか』
と語ったようだ。

いいぞ!

非常に重要な発言である。
昨日のエントリー
「いじめ自殺と原発事故」
でアタシも書いたように、
どうも日本人は
責任の所在をウヤムヤにしてしまう。

もちろんウヤムヤにしてしまうヤツラが悪いのは
当然なのだが、
ウヤムヤを許してしまう一般人にも問題はある
はずだ。

マスコミが権力者側に媚びているのもマズイ。

責任をとっていく社会にならなければ、
原発事故だろうが、いじめによる自殺だろうが
繰り返されていくだろう。

願わくば、もっとこういう発言をしてくれる
有名人が増えて欲しい。

願わくば、原発不要と突っ込んだ発言をしてくれる
有名人が増えて欲しい。

YAZAWAもかつて言っていたように、
ビッグネームの発言なら耳を貸す人は多いのだ。
影響力も大きいのだ。

2012年3月30日 (金)

宮崎駿は食わない

まるっと引用。
http://twitter.com/#!/miyasan_bot/status/184444772302336001
から。

『宮さん(宮崎駿)bot
‏ @miyasan_bot
ある人がもう年寄りはいいんだから放射能で汚染されたものでも、年寄りが食えばいいんだっていうふうに言っていたけど、僕は食わない。食わないようにする。それはやっぱり、問題をあいまいにする。年寄りなら食ってもいいじゃないかという考えは、福島に対する援助にならないと思います。』

著名な年寄りがもっと発言すればいいのにな。

吉永小百合もさ
『大人の休日倶楽部 「盛岡」篇 30秒』
のCMで、出されたじゃじゃ麺、食べてなくない?
レンゲには口つけてるように見えるけど。
直接発言しないけど、態度で示すって感じかな。

2012年2月10日 (金)

シロー死す

シローといえばサブロー・シローのシローだ。
55歳だったという。

彼らの漫才は絶品であった。
とはいえすごく笑った記憶はあるが、
内容までは覚えていない。
「田中はーん」を連呼しているネタがあったと思う。
なぜかこれは忘れられない。

彼らがテレビから消えたのは、

所属していた吉本に給料を上げて欲しいと
お願いをしたら断られ、

人気絶頂だった2人は、じゃあ吉本を
やめてやると飛び出し、

怒った吉本はテレビ局にサブローシローを
使うなと圧力をかけ、

吉本の他の人気芸人を使えなくなることを
恐れたテレビ局はサブローシローをいなかった
ことにした

という経緯だったと思う。

あんなに面白かったのに。

吉本は…。

昔、会社の先輩がシローに似ていて、
新幹線で間違えられたと言っていた、

そんなことも思い出す。

ご冥福をお祈りする。

2011年11月 2日 (水)

清志郎ベスト3(10月分)とか

先月に引き続き、
良く聴いたとか、印象的に感じた曲を3つ。

・『キューピッド

Little Screaming Revue の
アルバム『Rainbow Cafe 』から。
イントロのメロディーからゴキゲン。
清志郎の声がとてもいいと思うのだ。
とってもステキな曲だがヒットしたのかな?

・『忙しすぎたから

RCサクセションの
アルバム『楽しい夕に』から。
メインボーカルは清志郎じゃなく、破廉ケンチ。
清志郎はバックでコーラス。
リンコさんの書いた詞がなんだかいい。
作曲は清志郎。
切ない感じのメロディーもグッド。
出だしのところの声はチャボが歌う
『忙しすぎたから』と似てる気がする。

実は当時の清志郎の声はあまり好きではない。
この頃のライブで歌う清志郎の声はそうでもない
のだが、スタジオで録音された歌を聴くと
いくらか抵抗がある。
歌い方を変えていたのか、録音技術の問題なのか、
それはわからないのだが。

・『UFO神社

今回も入選。
なんか好き。
LOVE JETSの曲を全部集めたアルバムを発売して
くれないかなあ。

***

11/26(Sat)から映画
『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー ~感度サイコー!!!~』
が始まるぜ!

2011年10月26日 (水)

日テレで♪ずっとウソだったんだぜ!

朝早く、猫に起こされ、テレビをつけ、
チャンネルをまわしていたら、
日テレの「Oha!4」で斉藤和義がしゃべってた。

「勝手に自粛して、タブーじゃないことを、
 タブーにしてしまうのはおかしい」
というようなことを言っていた。
(まだアタシの頭は寝ぼけてた)

そしてどこかで行ったライブの模様が映し出され
♪ずっとウソだったんだぜ!
が。

さわりだけかと思ったら、1番はフルに流され、
歌詞も画面に現れた。

あの日テレが!

2011年10月 9日 (日)

auは反体制か

なんてね。
大げさなタイトル。

テレビからあの曲が流れるなんて、
びっくりしたやら、うれしいやら。

auのCM。
嵐が踊ってる? あのCM。

バックに流れるのは
名曲「マイ・ウェイ」
のたぶん替え歌。

auはどんな人が歌ってるのか、
歌詞の内容がどんなだか、
知ってて使ってるんだろうな。

もっとガンガン流してくれ。

クレジットは
「アナーキー・イン・ザUK」や
「ゴッド・セイブ・ザ・クィーン」
でおなじみの
セックス・ピストルズに
なってると思うが、
歌ってるのはシド・ヴィシャス。

ゴキゲンなヤツだぜ。
でも薬中だぜ。

何にしてもイカシタ曲だ。
ピストルズの曲ではいちばん好きかも。
だけど、猫は殺さないでね。
人もね。

2011年8月24日 (水)

紳助がいない分

節電したらいいのに、TV局。

代わりの番組なんて放送しないでさあ。

2011年8月16日 (火)

清志郎なら

こんな記事があった。
『特集ワイド:この夏に会いたい/8 ロック歌手・忌野清志郎さん』
http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2011/08/15/20110815dde012040002000c.html

『◆ロック歌手 忌野清志郎さん(2009年死去、享年58)

 ◇サマータイム・ブルース ユーモアの中の叫び
 「3・11の大震災があって、原発事故が起きた時、すぐに彼のことを思いました。こんな時、彼なら、なんて言っただろうって。それは米国で9・11テロが起きた時、ジョン・レノンが生きていたら、どんなふうにコメントしただろう、と考えるのと同じような感覚だと思うんですよ」

 彼とは、「ロックの神様」と呼ばれたロックシンガー、忌野清志郎さん。2009年5月2日に亡くなった。冒頭のように話すのは、忌野さんが率いたRCサクセションが「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」のヒットでブレークした1980年の前後3年間、キティレコード(当時)で担当ディレクターを務めた森川欣信(よしのぶ)さん(58)だ。

 東京電力福島第1原発事故の深刻な状況が明らかになるにつれ、クローズアップされたのが、RCが88年に発表したアルバム「COVERS(カバーズ)」。洋楽に忌野さんが独自の訳詞をつけた異色の作品。なかでも、夏に海へ泳ぎに行ったら<♪原子力発電所が建っていた さっぱりわかんねえ 何のため?><♪要らねえ 危ねえ>とうたった「サマータイム・ブルース」は、反原発ソングとして事故後、ユーチューブの再生回数が急上昇し、ラジオ番組には多くのリクエストが寄せられた。国内各地で行われる反原発集会でも流されている。

 「なんか不思議な感じがするんですよ。23年前に、彼は原発は必要ないとうたっていた。86年にチェルノブイリ原発事故があった後とはいえ、あの時は、みんな『清志郎、またお騒がせだな』ぐらいにしか思っていなかったのでは。でも実際に、未曽有の地震と原発事故が起きた時に、あれだけ警告を発していた彼はもういない。だからこそ、彼が残したメッセージは重みを増すのでしょうけど」

 森川さんは現在、山崎まさよしさん、元ちとせさんらが所属する音楽事務所「オフィスオーガスタ」の代表を務める。92年の設立以来、東電のCMへの楽曲提供を断ってきたという。「そんな方針を掲げたのも、清志郎と関わってきたからだと思います。清志郎や私が10代半ばのころはベトナム戦争の時代で、ボブ・ディランやビートルズが反戦を訴えていた。今は、もの言わぬ時代になってしまったが、音楽にはメッセージを込めて社会に目を向けさせる力もあるんです。しかも、清志郎の歌は堅苦しくならず、必ずユーモアが含まれている。ユーモアとは何かといったら、人間的ということじゃないかな」

 ■

 「カバーズ」は当時、東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)が突然、発売を中止したことでも話題を呼んだ。原子炉メーカーでもある親会社に配慮したのでは、といわれた。

 「最高のできなのに、誠に申し訳ない」。当時、忌野さんにそう告げたのが、東芝EMIの邦楽部門の最高責任者だった石坂敬一さん(65)。現在はユニバーサルミュージックの相談役を務める。「ホテルオークラに一室とって、清志郎とマネジャー、担当ディレクターと私の4人が向かい合っていました。事情を説明すると、清志郎はテーブルをドンとたたいて、灰皿を投げた。『許せねえ』って言ってね。随分、芝居がかっていましたが、明らかに外して投げていましたね。誰も傷つけず、備品も壊さず。そこが、彼の優しさなんです」

 88年6月22日付の新聞に「素晴しすぎて発売出来ません」という広告が載る。「すごい圧力はなかったと思いますが、子会社が自粛したような格好だったかな……。親会社の立場を考えてという」と、石坂さんは振り返る。結局、「カバーズ」はRCが以前所属していたキティからこの年の8月15日に発売され、RC唯一のオリコン1位を獲得。それでも、次の作品からは東芝EMIに復帰した。

 阪神大震災があった95年。忌野さんは<♪がれきの街に 花が芽を吹くさ>とうたった被災地応援ソング「サヨナラはしない」を作り、CDの印税を義援金として寄付した。今回の震災では、どうしただろうか。石坂さんは「清志郎は常に大衆に目線を置いて考え、行動する人でした。被災地の惨状を知ったら、バンドのトラックに食料を詰め込んで、現地に炊き出しに行き、被災者を励ましたでしょう」と話す。

 ■

 あの人にも話を聞かねばならない。RCがもっとも輝いていた80年代にギターを担当した盟友、チャボこと仲井戸麗市さん(60)。ラジオ番組の収録後、渋谷のカフェで会った。

 三回忌にあたる5月2日、東京・日本武道館で開かれた追悼ライブでもギターを弾いた仲井戸さん。「頭の中ではちゃんと現実を認識しなきゃと思うんだけど、どうしてもステージに立っているときなんかに、ふと現れてきちゃいそうな気がするんです。あいつ、よく寝坊してたから、『ごめん、遅れちゃって』なんて言って出てきそうで……」

 今も友の死の実感をもてない、という思いがぬぐいきれないという。

 「彼がいたらというイフはありえないんだけど、(震災に直面したら)『どうかね、チャボ』って連絡してきたと思いますね。あいつは結構自分からも出て行くタイプだから、いろんな仲間に声をかけて、その中に、俺も入っていたんじゃないかな」

 「どんな歌を作ったかって? ソングライターとしての彼のスタイルは、俺もそうなんだけど、物語を設定して書くタイプじゃない。日記ではないけれど、自分の周りに起こったこととか、感じたことを歌に投影していくタイプだから、当然、震災のことも、歌になって出てきたはずだよ。清志郎君は、きっと、今回のことを歌にしたと思う」。慎重に言葉を選んでいた仲井戸さんが、ここだけは言い切った。

 「彼の死後、再評価する声がたくさん出てきて、それはうれしい事だけど、彼、本人はもういないからね……」と仲井戸さん。

 忌野さんは東京・八王子の高尾霊園高乗寺に眠る。墓石の前には、トレードマークのウサギの像が腰かけ、ギターをつまびいていた。墓前で手を合わせながらなお、忌野さんが生きていたら、なんて言っただろう、と問いかけずにはいられない。森川さんはこう想像する。

 「『だから言わんこっちゃないぜ ベイベー』って思っただろうし、これだけの事故が起きてなお推進を唱えている人たちに対して『それなら使用済み核燃料はどこに捨てるの』って矛盾をついたんじゃないでしょうか。彼はただ反対じゃなくて、当時から自然エネルギーに替えてもいいんじゃないかって話していました」

 忌野さんが愛用の自転車「オレンジ号」に乗っている光景が目に浮かんだ。そしてあのフレーズも……。

 愛しあってるかい?【大槻英二】

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 ファクス 03・3212・0279

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 ■人物略歴

 ◇いまわの・きよしろう
 1951年東京都生まれ。高校卒業間際の70年にRCサクセションでデビュー。亡くなる3カ月前に録音された「Oh!RADIO(オーラジオ)」が遺作。

毎日新聞 2011年8月15日 東京夕刊 』

森川さん、偉い!

しかし、最後の人物略歴は、略しすぎだ。

2011年8月15日 (月)

芸能人の脱原発

菅原文太や吉永小百合が干されたとか事務所を
やめたとか、発言を撤回したとか、
そんな話は聞かない。

ポジションあるいはステータスを確立してる人は
何を言っても大丈夫なんだろうな。

他にも何を言っても大丈夫な人はいくらでも
いる気がするのだが。

吉田拓郎とか矢沢永吉とか、
2人とも広島出身だったような気がするが。
奥田民生もそうか?

核について発言すべきではないのか。

さだまさしは長崎だったような。

もうみんな十分稼いだろ。

井上陽水とか、桑田とかも。

音楽ファンとしては、ここらへんの大御所
と言われるような人たちが黙ってるのは、
悲しい。
アイドルじゃないんだしさ。

それともどこかでちゃんと発言してるのかな。
それならいいのだけど。

北島三郎とかの演歌の人たちもさ、
被災地回ってるだけじゃなくてさ。
何か言おうよ。

♪大人だろ、勇気を出せよ♪
って清志郎も言ってだぜ。

♪笑っていても
 暗く曇った この空を
 かくすことなどできない♪
とも。

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