経済・政治・国際

2015年2月22日 (日)

頭がこんがらがる募金

 駅前でユニセフが募金を募っていた。

 募金を募るという言い方はおかしいのか。

 募金活動をしていた。難民支援のためだという。

 ユニセフといえば国連の組織だ。

 ひねくれているアタシは、難民が出ない世界を作るのが

 国連の仕事だろう? などと思ってしまう。

 各国の、特に先進国のリーダーたちが

 好き勝手なことやって、難民出ましたから、

 皆さん、お金を出して助けましょう、というのは何か違和感。

 危険な組織が武装して、良からぬ行動を起こして、

 その結果、難民が出ていると言うのかもしれないけど、

 その組織はどうやって武器を手に入れたのだ?

 資金はどこからやってくるのだ?

 先進国が好き勝手やって来たことのツケではないのか?

 勝手に国境を決めたりとか。

 あるいは金儲けのために武器を売ったり、危険な組織の

 資金となるとわかっているのに、取引をしているのではないのか。

 はたまた、そうした組織と取引をしている企業を、

 見て見ぬふりしているのではないか。

 よくわからん世界だ。

 武器を渡さず、資金源を断てば、いずれ動きが取れなくなる

 気がするのだけどね。

 

 一方、困ってる難民を助けたいと思うのも人情ではある。

 ぐちゃぐちゃ言ってるだけで、放っておいてよいはずもない、

 というのも真実だ。

 などと、バカな頭で考えていると、募金活動しているユニセフの

 ユニホーム的なものを着ている人々が、おしゃべりをしている。

 あの人たちは何かね? ユニセフの職員? アルバイト?

2015年2月 4日 (水)

何が正解なのか

 人質事件である。

 いったいどういう選択肢があったのだろうか。

 何よりも人命尊重というのなら、身代金を払う

 という選択肢もあったはず。

 支払われた身代金が、争いを激化させ、

 犠牲者が増えるという可能性はある。

 日本はテロに屈した国というレッテルを張られ、

 他国から蔑まれことになるかもしれない。

 身代金を払う国として、さらなる身代金要求事件が

 発生するかもしれない。

 ただ、ほんとうに人命尊重というのなら、

 その後のことは、後で考えることにして、

 まずは人質を救出するという選択肢もあったはず。

 
 

 国内においても、何の罪もない人が

 事件に巻き込まれて殺害されるという事件も

 少なくないのだけど、

 今回の事件は何が特別なのか?

 テロだからか。

 人の命という点においては変わりがないようにも

 思える。

 また、自己責任だから致し方ない、という人も

 いるようだ。

 仮にそうだとしても、救える命を救おうとするのが

 人間だとも思う。


 さらには、人質は自決すべきだった、という人も

 いるらしいが、これは、自分ならそうするのに、

 ということなのだろうか?

 そして、それはどういうことなのだろうか?

 日本国や日本国民に迷惑をかけるのはよくない、

 ということだろうか。

 まるで戦争中の話のようにも思えるな。

 タクシー代わりに救急車を使うヤツとかにも

 自決を要求してもらいたいものだ。

 ドラッグや飲酒で人を轢き殺すヤツとかね。

 迷惑千万な輩は、ウヨウヨいるではないか。

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 正解が何か、という主張があって書いているわけ

 ではないので、まとまりがないな。

 おおざっぱに言って、生きて帰ってきてほしい、

 と考える人と、ほっとけばよい、と考える人が

 いたということか。

 ただ、生きて帰ってきてほしいと考える人たちが

 何かしたか、何かできたか、と考えると、

 両者にどれほどの違いがあったのか、よくわからない。

 結局、何か行動をして、何らかの影響を与えた人は

 いたのか? というと、いないだろう。

 願ったり、祈ったり、

 そんなことはできたかもしれないけど。

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 政治家がインタビューに答えて

 「緊張感を持って…」

 と繰り返していたが、こう言い続けないと、

 緊張感を保てないのか?

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 誰かひとりくらい、

 「代わりに私が人質になろう」

 という政治家はいなかったのか?

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 もし人質が名のある政治家や経済界の重鎮で

 あったなら、政府の対応は変わっていたのか?

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 テロと戦うことが、テロのない世界を作ることに

 なるのだろうか?

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 なぜテロは起きるのだろう? 起こすのだろう?

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 テロと戦うという名目で、戦争をしたがっている

 ヤツラもいるというのはほんとうだろうか?

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 正解はないのか…

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 インターネットや動画サイトがなければ、

 こういう展開にはならなかったのではないか、

 という気もする。

2014年5月22日 (木)

中・長期の積立投資はどうなのか=インデックス投資とか

 もし友人や知人に「積立投資ってどう思う?」と聞かれたら、次のように言うだろうな。

 もし買うタイミングがわからないとか、情報を集めて判断するのが面倒だとか、そうする時間がないというような理由で積立投資をするなら、売るタイミングをどう判断するつもりなの?

 「こうなったら売るのだ」と決めていたとしても、例えば利益が○○%になったら、と決めていて、達成したらしたで欲が出て売れないかもよ。人間は自分に都合よく考えるから、まだ上がるはず、とか、これ以上は下がるはずがない、とか思い込んでいるうちに、売るタイミングを逸して、気づいたらナンチャラ・ショックが来てるかもよ。(自分は決めたとおり行動できる人間だと思っていても、イザとなるとどうだろう? 投資して初めて自分の本当の性格がわかったりしてね。欲があるからこそ投資しているのだし)。

 そうそう。お金が必要になってしまって、投資してきた商品を売らなければならないのに、損失が出てたらどうするの? 余裕資金で投資しているつもりでも、5年後だか、何十年後だかには状況変わってるかもよ。

 それに毎月自動的に投資をしていたら、投資をしている意識を維持していくのは難しい気がする。「あ、そう言えば積立してたんだ」って急に思い出して、損益確認したら、大損出てたりして。気がついたら、ぼんやり思い描いていた金額よりも多い金額が投資されていたりして。

 毎月積み立てる金額は知れていても、5年とか何十年とか続ければ大金になるかもしれないわけで、それをリスクにさらしていることを意識しているだろうか。何百万とか何千万とか積み立てて、それがいつ、例えば半値になるか、誰にもわからないのであるよ。リーマンショックの時は、確か株価半値くらいになったんじゃなかったっけ? ナンチャラ・ショックなんていつ来るか誰にも分からないし、よくわからず投資をしている人ならなおさらだ。

 はは、悪く考えれば何もできないってか? そうだね、バブルで大儲けになっている可能性もあるしね。そうなるなら、投入する金額が大きければ大きいほど利益も大きくなるなあ。

 ん? でもそういう考え方じゃあ、ギャンブルじゃないの?

2013年8月30日 (金)

人類は進むべき方向に進んでいるのだろうか―その3

 イプシロン! 衛星を打ち上げるためのロケットらしい。コストを抑えて開発し、打ち上げコストも安くなるという。安くして新興国の衛星打ち上げを受注したいのだと。

 アタシがどう思ったかというと、まだ衛星打ち上げるの? ということ。

 地球の周りは、寿命を終えたり、故障したりで宇宙ゴミと化した衛星が、それこそ星の数ほどあって、地上に落ちてくる(ほとんどは大気中で燃え尽きてしまうらしいね)ものもある、と大騒ぎしていたのはそれほど昔ではなかったと思うのだが。

 何が正しいのか? 新しい衛星のためのスペースはまだ十分にあるのか? 宇宙ゴミが増えて地上に落ちてきて事故になることはないのか? まずは宇宙ゴミをなんとかするべきではないのか? それとも

 金儲けためなら何をやってもいいのか?

 いったいこの先どうなっていくのかねぇ。

人類は進むべき方向に進んでいるのだろうか―その2

 デフレ、デフレと言うが、何だかチャンチャラおかしなことに思えてきたのである。

 いつだったか「世の中、雇用の確保だの、就職率をアップさせるだの言いながら、一方で効率化とかコストカットとか言ってロボットやコンピュータを導入したり、海外で生産したりして人の働き口を減らしている。それに対して誰も何も言わないのは不思議である」というようなことを書いた。

 デフレだって同じようなもの。「競争だ、競争だ。消費者に良いものをより安く届けて、競争社会で勝ち抜くのだ」と言って価格競争を行ない値段を下げてきたのだ。コストカットもしてきたのだ。物価が下がるのは当然の成り行きではないか。下げようとして下げてきたのではないのか?

 そして今度はインフレにするのだという。頭おかしくない? 効率化、コストカット、価格競争という姿勢が変わらないのに無理無理物価を上げるって何なんだ? おまけにTPPで安い商品を消費者に届けるのだと。

 やりたいこととやってることが大きくかけ離れているのに誰も不思議に思わないのである。いったいこの先どうなっていくのかねぇ。

 

2013年8月29日 (木)

人類は進むべき方向に進んでいるのだろうか

 部屋の照明を代えることになって、この際LEDにするか、と思ったわけである。けれどもネットで調べてみると健康被害が出ているとか。改善されている部分もあるようだが、まだ未知の領域もあって(使われだしてあまり年数が経ってないから)不安を感じた。なかには蛍光灯よりもLEDの方が目に優しいという記述もあったが、蛍光灯なら長年経験しているわけだから、まあどのようなものか納得して使用できるわけである。

 店頭やカタログなんかを見てみるとすでにLEDが主流なようで、もしくはLEDを売りたい人々がいるようで、蛍光灯の肩身は狭くなっているように感じた。

・・・・・

 スマホではなく普通のケータイ(ガラケーというのかな)を使用している。スマホの必要性も利便性も感じてないからだけど、どうやらケータイも消えていくことになりそうだ。新製品は出ていないようだし、通信会社もケータイにかかるコストを下げようと、従来のサービスを打ち切ったり、変更したりし始めたようだ。使用しているケータイが故障しても、新品が売られていないとか修理代がバカ高くなるとか、そんな日が遠くない気がする。ケータイで何も不自由を感じていない人も少なからずいるはずだが、スマホに切り替えるか、固定電話+公衆電話の生活に追い込まれることになるのだろう。

・・・・・

 テレビの地デジ化もそうだったわけだけど、ユーザー側が何の不自由も感じてなくても「ほら新しい技術だよ、便利だよ」と押し付けられて、古いシステムが切り捨てられていく、windows XPもそうだな)。もちろん新しい製品に魅力を感じる人は買えばいいわけだけど、、たぶんそれだけでは企業が期待する売り上げにならないのだ。そこでシステムを変えてしまって強制的に消費者に買い替えをさせるという作戦をとっているように思う。昔は新しい技術を使った新製品が発売されれば(例えば初めてテレビが、エアコンが、パソコンが、ケータイが世に出たとき)、利便性を感じて購入する人も多かったのだろうが、ある程度生活が便利になってしまえば、いくら付加価値、付加価値と言ったところで、じゃあ買ってみようかと思うのは新し物好きばかりなわけで。(現にXPの買い替えで困っている企業が多いらしいではないか。現状何も困っていないうえに、あたらしいOSにしたところで大きなメリットがあるわけでもないからね)

 もう十分と言えるほど便利な世の中だと思うのだが、従来と同じモノでは企業は儲からないのだろう。だが企業が儲けるために、不要とも思えるようなシステムの変更を行なっていくのはいかがなものか。むろん表向きは消費者のニーズに応えました、とかなんとか言うのだろうが。

・・・・・・

 少し前に有名百貨店のカリスマ店員が紹介されていた。買い物に来た客に、言葉巧みにプラス1点買わせるのがうまいのだという。洋服ダンスにない色のアイテムを持っていると役に立つのだとかなんとか。インタビューに答えていた客は「良いアドバイスがもらえて助かる」なんて言っていた。なかには買う気のなかったアイテムを数点買ってしまった人もいたようだが、帰宅してから後悔してないだろうか。
 この百貨店のフロアマネージャーだったかな、店員の尻を叩いて売り上げを高める偉いさんも、朝礼で「プラス1点買ってもらいましょう」と指示を出していた。

・・・・・・

 商売とはこういうものだったのか? 客が必要なもの、欲しいものを売り、買ってもらうのが商売だと思っていたけれども、昨今は客が買いたいと思っていないものを押し付けたり、買わざるを得ないようなシステムや環境にしてしまったりと、ちょっとした押し売りのような気がするのだが。

 名の通った企業ですら押し売りまがいの商売をしているわけで、いったいこの先どうなっていくのかねぇ。

2013年7月23日 (火)

あるいはパプアニューギニア

 最近続けてパプアニューギニアをテレビ番組で見た。川を延々と遡ったり、山の中に入って行ったり、そうした先にある部族を日本人が訪問した、というような番組だ。

 彼らは西欧文明を意識的に100パーセント拒絶しているというわけではなさそうだが、ある程度は距離を置いている。地理的な要因もあろう。そして昔ながらのやり方で、魚を取ったり、畑を耕したり、自然を生かして、自然を利用して生活している。

 医療の問題とか、教育の問題とかを追及すれば、手放しで彼らの生き方を称賛するわけにはいかないのかもしれない。しかしながらアタシは思ったのである。地球上に彼らのような部族だけが暮らしているのであれば、彼らの子供や孫も、子々孫々、生まれた土地で同じように暮らしていけるだろう、と。

 先進国と言われる国々に住む人々はどうか。快適な生活をしているかもしれない。でも、先祖代々が暮らしてきた土地なのに、子供や孫に引き継がせることのできない広大な地域を作り出してしまっている。先祖とか子孫とかを抜きにしても、とにかく人が生きていけない広大な土地を生み出したのだ。

 次世代以降の人々が暮らしていく環境にたいへんな、というか決定的なダメージを与えてしまったわけだ。

 わかりやすいところで言えば、福島の一部だし、チェルノブイリだ。原爆の実験を行った場所でも同様に人が住めなくなっているだろう。

 土地のみならず、海も汚してしまっている。原発からの廃液とか海底油田から漏れ出した原油とか。海は広いから目に見えた影響が出ていないように思えるかもしれないが、影響がゼロなわけはなかろう。この先どうなっていくのか。

 シェールガスの採掘も心配だ。環境への悪影響がいくつも取りざたされているにもかかわらず経済優先でどんどんと採掘が進行していく。

 先進国がやっていることの影響を先進国だけが受けるなら、それは自業自得と言える。しかし、海を汚染したり、地殻への影響が出るかもしれないような活動によって、パプアニューギニアの人々に、先祖代々の暮らしを守って、子々孫々に受け継いでいけるはずだった人々にダメージを与えるようなことになれば、非常に申し訳ないことだと思うのだ。

 どうも世界を牛耳っている人々は「お金お金、経済優先! 何やっても大丈夫大丈夫! そんなにひどいことになりはしないよ。ひどいことになったとしても知ったこっちゃないよ」という考え方でいろいろなことを決めているような気がする。

 地球がダメになればお金もへったくれもない気がするのだが、この世を動かしている人々の考え方は凡人には理解できぬ。自分たちだけは生き残れるとか、他の惑星に移住できる、とでも考えているのだろうか。そこでもお金がモノを言うと思っているのだろうか。

2013年6月26日 (水)

基準ってあるの?

テレビニュースを見ていて不思議に思うんだけど、犯人とか容疑者の顔が映る場合と映らない場合がある。逮捕直後とか、別の警察署かなんかに移送する場合のことだけど。殺人を犯していても顔を写さないこともあって、ときには警察関係者が顔を隠してやってたりもする。なのにもっと軽い犯罪の犯人や容疑者の顔がガンガン映し出されたりするときもあって、警察関係者もまったく隠そうとしなかったりする。この違いは何だろうか? 警察関係者やマスコミの好き嫌いだけで決まってるんだろうか?

2013年4月 8日 (月)

自殺した小学生

 今年の2月に大阪府大東市の小学5年生が自殺した。「どうか小さな命とひきかえに…」と学校の統廃合を中止してほしい旨の遺書があったという。

 先日、この学校の統廃合問題はどうなったのだろうと思い、ネットで検索してみた。あまり伝えているメディアはないようだった。スポニチ(だったと思う)の記事は見つかった。結局は予定通り統廃合は実施されたようだ。

 この件に関する掲示板も見てしまったのだが、そこは自殺した小学生に批判的な書き込みばかりでびっくりした。「この小学生の行為はテロであり、テロは許されるものではない」とか「死んで要求が通るなら死ぬ小学生が増えるだろう。このような要求を大人が飲むわけない」とか。

 国や自治体のお偉方やマスコミの思惑が世の中にはすっかり浸透しているのだな。何でもかんでもテロと決めつけて「テロは許されるものではない」という決まり文句。勝手な理屈をつけて思惑を正当化するやり方。

 大東市の判断にも、ここで統廃合を中止すれば命をかければ要求がかなうという間違った印象を子供たちに与えかねない、という大人サイドの理屈がつけられていた。

 モノは言いようだ。子供サイドから言わせれば「命をかけても大人は子供の声に耳を傾けない。絶望的だ。」となるのではなかろうか。

 自殺した小学生はいきなり自殺を選んだのだろうか。先生や親に相談しなかったのだろうか。同級生と話し合わなかったのだろうか。

 近くにちゃんと話を聞いてくれる大人がいたなら自殺しなくてもすんだかもしれない。同級生と一緒になって交渉すれば違う結果になったかもしれない。

 なぜ自殺を選ぶしかなかったのか。痛ましい。

 学校の統廃合など結局は大人の都合であり、金の都合でしかないだろう。

 でもきっと子供たちは知っている。税金をくだらないことにたくさん使っていることを。ほんとうにお金がないのならともかく大人の都合で税金の無駄遣いはしているくせに学校や教育にはお金を使わないのは納得がいかないだろう。

 自殺した小学生は同級生との「絆」を大切にしたかっただけなのだ。中学生になればどうせバラバラになってしまうかもしれないが、あと1年、「寄り添い」たかったのだ。

 そこら中で「絆」とか「寄り添う」とかいう言葉が安っぽく使われているけれど、言葉がもてあそばれているだけで、中身がない。

 子供が大切にしたい「絆」も「寄り添い」たい気持ちも誰も真剣に取り合わない。

 少子化対策などと呪文のように唱える人はいても子供大切にしようという政治家や役人はいない。

 この国はどうなっていくのだろう。

2013年3月25日 (月)

「全日本おばちゃん党」を支持したいな

 まだ実態をよく知らないけど、これを読む限り支持したいな。

『1:うちの子もよその子も戦争には出さん!

2:税金はあるとこから取ってや。けど、ちゃんと使うなら、ケチらへんわ。

3:地震や津波で大変な人には、生活立て直すために予算使ってな。ほかのことに使ったらゆるさへんで!

4:将来にわたって始末できない核のごみはいらん。放射能を子どもに浴びせたくないからや。

5:子育てや介護をみんなで助け合っていきたいねん。そんな仕組み、しっかり作ってや。

6:働くもんを大切にしいや!働きたい人にはあんじょうしてやって。

7:力の弱いもん、声の小さいもんが大切にされる社会がええねん。

8:だからおばちゃんの目を政治に生かしてや!』

これは
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20130323-406699/2.htm
から引用。

「はっさく」と呼ぶ全日本おばちゃん党の基本政策のようなもの、ということだ。

基本政策のようなものなのに、「~します」でなく「~してやって」っていう言い方はちょっと気になるけど。実行するのは自分たちじゃないみたいに聞こえるが、どうなの?

しっかり実行してや。

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