書籍・雑誌

2015年2月17日 (火)

村上春樹

 昔々好きだった。

 いつごろまで読んでいたっけと、Wikipedia で確認してみると、

 長編小説では『ダンス・ダンス・ダンス』まで。

 そしてたぶん、

 短編集では『パン屋再襲撃』まで、

 随筆では『ランゲルハンス島の午後』まで。

 なんで読まなくなったのか、明確な理由はないけど、

 たぶん、『ダンス・ダンス・ダンス』の次の

 『国境の南、太陽の西』を手にしてみたけど、

 なぜか読む気になれなくて、その後なんとなく

 遠ざかってしまったような気がする。

 

 他にも同じ時期に村上春樹をやめた人を目にしたこと

 があるので、村上春樹の何かが変わったのかもしれない。

 で、その後は、暇つぶしにタイトルを忘れた紀行文の

 文庫本1冊読んだ気がするが、あまり印象は残ってない。


 

 そんな状況は続いていたのだけど、先日、ネットで何かを

 検索していたら『村上さんのところ』というサイトを

 偶然に発見した。

 見てみたら

 おもしろいじゃないか。

 読者からの質問に村上春樹が答える、という内容で、

 以前にも同様のことをして本にもなっているらしい。

 その本の存在はもちろん知らなかったわけだが。

 『村上朝日堂』は好きだったので、テイストが同じというか。

 相変わらずスワローズ好き、猫好きのようで。

 このところ毎日読んでいる。

 期間限定らしいので、いつまで続くか知らないが。

 絵が安西水丸でないのは残念な気もするけど、

 フジモトマサルという人の絵もなかなか味わい深い。

 

 小説の方はどうだろう?

 またおもしろいと思えるだろうか?

2013年11月 8日 (金)

本の処分―その2

 なんで本を処分できたのか。

 置き場所がなくなってきたのと文庫本ですら高くなってきたので図書館を利用することが増えたというのも理由の一つだろうな。図書館で借りた本は返すわけで、所有欲は満たされないのだが、ぜんぜん気にならなくなっていることが分かったし、アタシが読みたい本は結構きれいな本が多いし。

 また読みたくなったとしても、もう一度借りれば済む話だ。

 すっきりしたら気分もいいね。

 

 しかしCDに対する所有欲は断ち切れないのかな。

本の処分―その1

 ただ捨てるというのは抵抗があるし、リサイクルするにせよひもで縛って野ざらしにしておくのも何だかな。

 そんなわけでどこかに買い取ってもらって、読みたい人が手にしてくれればいいし、いくらかお金になればそれに越したことはない。

 値のつきそうな本だけは何かのついでに古本屋に持っていくことにしたが、ほとんどは手軽にブックオフ・オンラインを利用。

 まずブックオフに2箱送った。1000円ちょっとの査定。もうちょっと行くかと思ったが。

 2回目は、前回よりも最近の本で状態も良いモノを1箱。500円は行くだろうと思ったが、まるで届かず。1冊あたり5、6円。

 高く売りたいと考えると腹の立つ査定といえそうだが、家まで取りに来てくれて部屋が片づいて、それに加えていくらかお金がもらえると思えばありがたいものだ。クロネコヤマトが置いて行った伝票には1箱あたり740円の送料と書いてあった。いくらブックオフが送料無料で買い取ると言ったって誰かが送料を負担するわけで、誰かとは誰なんだと言えば結局は巡り巡って客が負担するしかないのだから、買取金額が安くなるのは必然。おまけに段ボールもタダで配ってるようだし。(ネットで他人様の体験談などを見ると同じブックオフでも店舗に持参した方が買取金額が高いケースが多いらしい)。

 古本屋に持参した本もそれほどの金額にはならなかったがブックオフよりはだいぶマシだったのではないかと思い込んでいる。十数冊で軽く2000円は超えた。

 古本屋のおじさんによれば、買取価格は売価(古本屋で売りたい価格)の10分の1くらいとか(売れるとわかっているような本ならもっともっと高く買い取るようだが)。それに文庫本なら20冊とか30冊をまとめて買って、その中から数冊が売れれば少しは利益が出るかな、という商いなので、文庫本の買取価格は低くならざるを得ないとか。売れなかった本の処分にもお金がかかる時代なのだと、おじさんはぼやいていた。

本とCD

 いろいろと片づけをすることになり、本を思い切ってかなり処分した。また読むこともあるだろうととっておいた本のほとんどは2度と開かないということが年を重ねるごとに明らかになったのだ。うすうす気づいていたが。

 この勢いでCDも減らそうと思ったわけだ。パソコンに取り込んでおけばいつでも聞けるのだし。

 ところがCDは処分できなかった。手放せなかった。なぜだ? 10年以上聴いていないCDですら持っていたいと思ってしまうのだ。なぜだろう? 

 そこそこの状態で保管していればこの先もちゃんと聴けるのだろうか? 以前CDの寿命は10年くらいと聞いた記憶がある。もっと前のでも今のところはちゃんと聴けているのだが。

2013年2月26日 (火)

その本の名は

 先日書いた「これは予言なのか」で紹介した本。タイトルは『自分と自分以外―戦後60年と今』、著者はこれも片岡義男。引用した文はP.262にある。

 他にも興味深いことをたくさん書いているよ。

 これも残念ながら新品としてはもう販売されていないようだけど、中古品としてはそれほど難しくなく手に入る。

2013年2月25日 (月)

「日米関係」「米国の本質」「日本の弱さの理由」

 タイトルにした3つの事柄について知りたい、考えたいと思うのならば『影の外に出る ~日本、アメリカ、戦後の分岐点 』を読むといいと思うよ。10年近く前、日本は自衛隊のイラク派遣が問題となっていた。そのころの本だの本だ。でも著者の主張は「今」にも通用するものが多い。悲しいかな、それだけ日本が進歩していないということだな。

  次のようなことが書かれている。

◎「日米関係」について

・  小泉首相がブッシュ大統領からプレゼントされたボマージャケット(英語で書けば bomber jacket 、つまり爆撃する人が着るジャケット)の意味。

・大統領からの要請は実質「命令」。それを受け入れる首相。

・アーミテージのさりげない日本への命令。

◎「米国の本質」について

・保守、リベラルという言葉が意味するところは日本と米国で異なる。

・米国保守の考え方。過去にとらわれず文化、伝統を尊重しない。つまりあらゆるものからの自由こそがすべて。

・米国は正と邪の二分法。「敵」がいなけりゃまとまらない。

◎「日本の弱さの理由」

・米国のご機嫌を伺う日本の政治家と外務省。

・基地がなくなったら困ると考える日本人。

・戦後は米国依存が強すぎて外交、軍事をさぼってきた。

・政治機構が機能していない。

・言葉遊びが多すぎる日本の政治家。

・首相の空洞化。 

・憲法軽視。
 

 この本の作者は片岡義男である。いうまでもなく小説家だ。

 政治の分野に何のしがらみもない作者がいくつもの鋭い指摘をしている。普通の人々にもなるほどそうだったのかと思わせる記述が連続している。言葉の使い方、言葉が与える影響という小説家ならではの側面から、あるいは、日米両国の文化にもなじみ深いという立場から、日本という国、アメリカという国がどういものなんかも教えてくれている。

 強く感じたのは「日本は言葉遊びの国だ」ということ。どうとでも受け取れる言い回しにしたり、後で解釈を変えたり、言い方を変えて本来伝えるべき意味を減じてしまったり。「主体性の無さ」も感じた。自分たちはこうしたいという主張をすることなく「こんなことを言ったら相手が気を悪くするのではないか」とか「この要請を断ったら怒るのではないか」と勝手に思い込んでただひたすら波風を立てないことだけに尽力する政治家と官僚たち。だから時として外交上の問題を解決するために日本国民を犠牲にすることになるのだ。

 残念ながら新品としてはもう販売されていないようだけど、中古品としてはそれほど難しくなく手に入るようだよ。アマゾンなんかでね。図書館にもあるかもね。

2013年2月20日 (水)

これは予言なのか

 ある本を読んでいた。2004年の7月に発売されたものだった。福島の原発爆発よりも7年くらいは前にかかれたものということだろう。こう書かれていた。

基本的人権などじつは誰も守りようがないという、半世紀前にはまったく想定外だったとんでもない状況に、いま日本はいくつも直面している。そのなかからほんの小さな例をひとつだけ拾うなら、原発の事故ないしは意図された爆発は、わかりやすくていいだろう。原発が爆発し、致命的な濃度の放射能を帯びた物質が日本列島の半分に降り注ぐ、といった自体が発生したとき、基本的人権は、どんなかたちと内容で、いったい誰によって守りえるものなのか。』

 本のタイトルと書いた人の名は後で書くけど、まったっくもって言い当てていると思わないか?

 ところで「基本的人権」がどういうものか言えるかい? 

 コトバンクhttp://kotobank.jp/word/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9A%84%E4%BA%BA%E6%A8%A9 から一部を抜粋してみよう。

 『知恵蔵2013』の解説として『人間が人間らしく生きていくために必要な、基本的な自由と権利の総称。(中略)基本的人権の内容は、当初は国家権力の干渉を排除することにより達成される自由権的人権が中心だった。人間の尊厳、法の下の平等、生命身体の安全、自由の保障、思想・信仰・言論・集会・結社の自由、移動の自由、私生活の保護、財産権の保障、公平な公開裁判の保障、罪刑法定主義、などに、参政権を加えたものである。第1次大戦後、社会国家的な考え方から、ワイマール憲法などにより、国家の積極的関与によって保障される社会保障、教育権、労働権などの社会権的人権が基本的人権に加えられた。(後略)』

 詳しくは検索して調べてみるといい。「基本的人権」は今全国的にも問題になっているようだから興味深いサイトがヒットするかもしれない。

 アタシは法律の専門家じゃないけど、福島の人たちを中心に日本人の「基本的人権」が守られていないと感じてる。放射性物質は今も放出され続けているわけで「生命身体の安全」が保障されているとは思えない。家も家財も置いたまま住んでいた場所から避難した人たちの「財産権」が保障されているとは思えない。農家の人たちは土地を追われて「労働権」を奪われている。不自由な生活を強いられて「人間の尊厳」もダメージを受けているだろう。遠くに避難している間に賠償の話がどうなるかわからないから「移動の自由」もあまりない。

 どうだい? 難しいことはわからなくても「基本的人権」が十分に保障されているとは思えないだろう?

 でも国が何とかしようという動きは感じられないし、国民の側にも何とかしようという動きは感じられない。国民は「基本的人権」が奪われていることに気づいていないのかもしれないな。

 本のタイトルと書いた人の名は別途近々書くことにしよう。

2012年10月12日 (金)

最近の文庫本

本屋に行く回数が減ったように思う。

少し前まで、文庫本くらいは
ちょくちょく買ってたんだけど。

最近は買う気がしないな。

一番大きな理由は、読みたいと思う文庫本が
見つからないことかな。

それにこのところ文庫本も高くなった。

新しい本で厚みもあるならある程度しかたない
と思うのだが。

昔の作家で、定番とも言えるような本で、
ずっと安かったようなものまで、
カバーを付け替えるだけで、
値段をかなり上げている。

もう1つ。
本屋に並べられた文庫本の表紙を眺めると、
文庫本売り場なのか、コミック本売り場なのか
わからないようになってしまっている。

文庫本の表紙がかなりの割合でコミック調の
イラストになっているのだ。

数年前にどこかの出版社が定番の文庫本の表紙を
コミック調にし始めたように記憶しているけど、
売上が上がったのかな。
それで他の出版社も右に倣えになったのかな。

アタシ的にはコミックはコミックで結構だし、
軽く見るつもりもないけど、
カテゴリー的には別のものだし、
なんでもかんでもコミックというのは
好きになれないなあ、と思ってるであった。

コミック調に囲まれると居心地が悪いのだよ。

年齢的なもんかしれないけど。

・・・・・・・

文庫本でもあれこれ買ってるとすぐに棚が
いっぱいになってしまう。

買った本はなんとなく保有していたい気もする
から売ったり、処分したりしないし。

困ったもんだなあと思っていたので。

なるべく買わないようにする良い機会かも、
なんて考えているのであった。

図書館も便利な場所にあるしね。

・・・・・・・

そんなわけで出版社の値上げ作戦の期待からは
外れさせていただく。

2011年12月22日 (木)

人は追いつめられて初めて本当に生きはじめる

ポール・オースターの『幻影の書』(新潮文庫)を
読んだ。

登場人物の1人がシャトーブリアンの
『死者の回想録』にアンダーラインを引いていた、
というシーンを引用しておこう。
「Les moments de crise produisent un
 redoublement de vie chez les hommes. 危機的
 な瞬間は人間のなかにいつにない活力を生み出す。
 
あるいは、もっと簡潔に訳すなら―人は追い
 つめられて初めて本当に生きはじめる
。」

そういえば、自らを危機的状況に追い込む人も
いるなあ。

2011年3月29日 (火)

週刊誌の見出し

昨日、久しぶりに電車に乗ったら、
中吊りがセンセーショナル。

東京もすでにアブナイとかナントカ。

まあ、こういうのはびっくりさせた方が
売れるんだろうし。

中吊りを見た限り、
「そこまでいうんなら、編集部を
 東京から移転させなよ。信憑性が増すから」
と思ってしまった。

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