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2014年5月

2014年5月30日 (金)

プロがいなくなる?

 男も家事に子育て、女も社会進出。

 人それぞれなわけだけど。  

  ひとりの人間があれもやる、これもやる、となれば、どれも中途半端になる可能性もあるわけで。

 プロの主婦も、プロのサラリーマンも日本からはいなくなるような気がするわけで。

 男が主夫で、女が勤めてもいいわけだが。

 プロの親は必要な気がするわけで。

 こどもたちにトバッチリがいかないことを祈る。

2014年5月22日 (木)

年寄りか若者か?

 以前、チャンチャンチャン、チャンチャンチャン、と歌って、続きを歌ってくださいと言われてジングルベルを歌う人は比較的若い人、青い山脈 になってしまう人は高齢の人、なんていう判別方法があったけど。

 最近思ったのだが、電車に乗ったとき、乗客のほとんどがスマホをいじっているのを見て異様だと思うのが年寄りで、乗客のほとんどがスマホに触っていないのを見ると異様に感じるのが若者ではないか、と。

中・長期の積立投資はどうなのか=インデックス投資とか

 もし友人や知人に「積立投資ってどう思う?」と聞かれたら、次のように言うだろうな。

 もし買うタイミングがわからないとか、情報を集めて判断するのが面倒だとか、そうする時間がないというような理由で積立投資をするなら、売るタイミングをどう判断するつもりなの?

 「こうなったら売るのだ」と決めていたとしても、例えば利益が○○%になったら、と決めていて、達成したらしたで欲が出て売れないかもよ。人間は自分に都合よく考えるから、まだ上がるはず、とか、これ以上は下がるはずがない、とか思い込んでいるうちに、売るタイミングを逸して、気づいたらナンチャラ・ショックが来てるかもよ。(自分は決めたとおり行動できる人間だと思っていても、イザとなるとどうだろう? 投資して初めて自分の本当の性格がわかったりしてね。欲があるからこそ投資しているのだし)。

 そうそう。お金が必要になってしまって、投資してきた商品を売らなければならないのに、損失が出てたらどうするの? 余裕資金で投資しているつもりでも、5年後だか、何十年後だかには状況変わってるかもよ。

 それに毎月自動的に投資をしていたら、投資をしている意識を維持していくのは難しい気がする。「あ、そう言えば積立してたんだ」って急に思い出して、損益確認したら、大損出てたりして。気がついたら、ぼんやり思い描いていた金額よりも多い金額が投資されていたりして。

 毎月積み立てる金額は知れていても、5年とか何十年とか続ければ大金になるかもしれないわけで、それをリスクにさらしていることを意識しているだろうか。何百万とか何千万とか積み立てて、それがいつ、例えば半値になるか、誰にもわからないのであるよ。リーマンショックの時は、確か株価半値くらいになったんじゃなかったっけ? ナンチャラ・ショックなんていつ来るか誰にも分からないし、よくわからず投資をしている人ならなおさらだ。

 はは、悪く考えれば何もできないってか? そうだね、バブルで大儲けになっている可能性もあるしね。そうなるなら、投入する金額が大きければ大きいほど利益も大きくなるなあ。

 ん? でもそういう考え方じゃあ、ギャンブルじゃないの?

2014年5月16日 (金)

神様=報い、報われ

 神様がいて、人々の行ないをちゃんと見ていて、良いことした人には良いことが起きるように、悪いことをした人には悪いことが起きるようにとりはからってくれている、などと言うわけだが。

 だとしたら、こういうことを信じているとしたら、法律で人を裁く必要はないはず。悪人には神様が罰をお与えになるのだから。

 でも、人は法律を作った。

 なぜ?

 神様を信じていないから?

 神様はそういうことをする存在ではないから? では、神様はどんな存在?

世の中のシステム

 モスバーガーで簡単な食事をしていた。

 おばあさんと呼ぶには少し早いのかな、というオバサンが店に入ってきた。

 レジ横の壁に貼ってあったメニュー表を食い入るように見ていた。

 その後気にしていなかったのだが、オバサンの声が聞こえてきた。
 レジで店員のオネーサンに話しかけている。

 「ピザはないの?」

 店員はていねいにない旨伝えた。

 「ピザはどこで買えるの?」

 相手をしていた店員のオネーサンは他の店員のオネーサンにも聞いてみたが、近所に思い当たる店はないという結論に至った。
 そしてそれをオバサンに伝えた。

 オバサンは少々急ぎ足で店を出て行った。少々憤った表情をしていた。

 ピザの買い方を知っている人からすれば、このオバサン、バカじゃねぇーの? ということになるんだろうな。

 まったくピザに興味がなかったのに、急に食べたくなった人は、どうやって買うんだろう?

 ネットで調べるか。

 ネットをやらない人は? 

 電話帳か?

 テレビのCMを見ていたとしても買い方はわからない。

 郵便受けのチラシも、興味がなければ見ずに捨ててしまう。

 スーパーに行けば冷凍モノがあるのだろうが、そんなことも知らないわけだし。

 イタリアンのレストランに行けば食べられるわけだが、きっと知らないのだろうし。

 知り合いに聞くのも恥ずかしかったりして。

 

 歳をとっていくとこういうことが増えていくのだろうか。

 オバサンは急に誰かに頼まれたんだろうな。

 おきのどくさま。

誰も不思議に思わない2

 最近行かなくなったが、以前は近所の大きな公園によく散歩に行った。

 犬を散歩させている人が少なくない。

 そして、ベンチの脚の部分にオシッコをしているのをよく見かけた。

 人間がしたら問題なのだが、犬がするのは大丈夫なのか?

 なぜ犬はOKなのか? 

 もともと裸だからか?

 人間がしていけないのはアソコが見えてしまうからなのか、

 それともオシッコがまき散らされ、公衆衛生上よくないからなのか?

 たぶん、両方だろう。

 であれば、犬が外でオシッコをまき散らすのも公衆衛生上よくないはず。

 でも、飼い主も、公園で遊ぶ人も、公園を管理する職員も、誰も気にしない。

 もしもし、あなたが座っているベンチ、オシッコまみれかもしれませんよ。

2014年5月15日 (木)

誰も不思議に思わない1

 前にも書いたような気はする。

 あまり乗ることのない電車や地下鉄に乗ると発車を知らせる電子音楽が神経に触る。

 アタシは駅で起きる暴力事件の一因ではなかろうかとまで思っている。

 でも、きっと毎日のように乗る人たちにとっては気にならないのかもしれない。

 気にならないとはどういう状態なのか?

 まったく平気、イラつく感じゼロ、というのならいい。

 神経を刺激されているのに、感覚がマヒしている、というのなら問題だ。

 自分が感じていないだけで、神経がすりへっていく、おかしくなっていく。

 やがて積もり積もったモノが放出される。

 他人に向かって暴力としてか、あるいは自分の内側に向かって精神異常としてか。

 でも誰も原因に気づかない。

人生=煩わしい?

 人生には煩わしさと不安がともなう。

 そう理解しておけば、いくらか気持ちも楽になる。

 人生とはそういうものなのだ、と。

 ひたすらのんきに暮らせるものではない、と。

 

 でも、理解はしていても、ときどき煩わしさから逃げ出したくなることもある。

  煩わしいことが重なったりしたときとかね。

 よくよく考えるとそれほどの煩わしさではなく、ちょっと気持ちが入れば簡単にクリアできるものなのだが。

 煩わしいことはひとつひとつ順番に処理していくしかないのだが。

 それを承知していても、なんだかイヤになってしまうこともあるのだ。

 

 そんなときは音楽でも聴いてエネルギーを充電する。散歩したり、街に出かけて気分転換する。友だちと会ったりね。

 それで煩わしさをクリアできる元気を取り戻せる、こともある。

 元気を取り戻せないときは? 

 ・・・・・・

 まあ、そのうち元気は出るだろう。あせることはない。

 煩わしさを敬遠したい気持ちにも飽きるだろう。

 尻に火がつけば、やらざるをえないのだし。 


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 煩わしさから解放される方法はある。

 使用人を雇って、煩わしいことはすべてやってもらえばいいのである。

 ただ残念ながら使用人を雇うほどお金持ちじゃないし、ちょっとしたことまで、お金を払うとはいえ、他人にお願いしたり、押しつけ

たりするのは気が進まないかもしれない。

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 要は、考え過ぎないことである。

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 ある人はあることを煩わしく苦痛だと考え、別の人は同じことをチャレンジととらえてゲームのように楽しむかもしれない。

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 そうそう、
 「人生には、煩わしさと不安がともなう。」
 という格言には後半がある。

 「しかし、楽しさや希望もある。」

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