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2013年7月

2013年7月31日 (水)

若い人たちは

 あと10年か15年もしたらこの世から消えているようなじーさんたちがこの国や地球の将来を決めていくことに違和感を覚えないのだろうか。

2013年7月23日 (火)

あるいはパプアニューギニア

 最近続けてパプアニューギニアをテレビ番組で見た。川を延々と遡ったり、山の中に入って行ったり、そうした先にある部族を日本人が訪問した、というような番組だ。

 彼らは西欧文明を意識的に100パーセント拒絶しているというわけではなさそうだが、ある程度は距離を置いている。地理的な要因もあろう。そして昔ながらのやり方で、魚を取ったり、畑を耕したり、自然を生かして、自然を利用して生活している。

 医療の問題とか、教育の問題とかを追及すれば、手放しで彼らの生き方を称賛するわけにはいかないのかもしれない。しかしながらアタシは思ったのである。地球上に彼らのような部族だけが暮らしているのであれば、彼らの子供や孫も、子々孫々、生まれた土地で同じように暮らしていけるだろう、と。

 先進国と言われる国々に住む人々はどうか。快適な生活をしているかもしれない。でも、先祖代々が暮らしてきた土地なのに、子供や孫に引き継がせることのできない広大な地域を作り出してしまっている。先祖とか子孫とかを抜きにしても、とにかく人が生きていけない広大な土地を生み出したのだ。

 次世代以降の人々が暮らしていく環境にたいへんな、というか決定的なダメージを与えてしまったわけだ。

 わかりやすいところで言えば、福島の一部だし、チェルノブイリだ。原爆の実験を行った場所でも同様に人が住めなくなっているだろう。

 土地のみならず、海も汚してしまっている。原発からの廃液とか海底油田から漏れ出した原油とか。海は広いから目に見えた影響が出ていないように思えるかもしれないが、影響がゼロなわけはなかろう。この先どうなっていくのか。

 シェールガスの採掘も心配だ。環境への悪影響がいくつも取りざたされているにもかかわらず経済優先でどんどんと採掘が進行していく。

 先進国がやっていることの影響を先進国だけが受けるなら、それは自業自得と言える。しかし、海を汚染したり、地殻への影響が出るかもしれないような活動によって、パプアニューギニアの人々に、先祖代々の暮らしを守って、子々孫々に受け継いでいけるはずだった人々にダメージを与えるようなことになれば、非常に申し訳ないことだと思うのだ。

 どうも世界を牛耳っている人々は「お金お金、経済優先! 何やっても大丈夫大丈夫! そんなにひどいことになりはしないよ。ひどいことになったとしても知ったこっちゃないよ」という考え方でいろいろなことを決めているような気がする。

 地球がダメになればお金もへったくれもない気がするのだが、この世を動かしている人々の考え方は凡人には理解できぬ。自分たちだけは生き残れるとか、他の惑星に移住できる、とでも考えているのだろうか。そこでもお金がモノを言うと思っているのだろうか。

2013年7月22日 (月)

懐かしのベジマイト

 先日スーパーマーケットへ行った。今回はちょっと高級な店だ。意外と普通の店より安いものがときどきあったりするので、ついでがあれば立ち寄ってみるのだ。

 売り場を歩いていると、ベジマイトが目に入った。オーストラリアの国民食的な、パンに塗って食べるペースト状のもの、らしい。味は、良く言って独特なものらしく、食べてみろと言ってくるオーストラリア人はたいてい半笑いになる代物。アタシはずっと敬遠していて、ついぞ食べたことがないので詳しくは知らない。

 「へぇー、こんな店で売ってるんだ」などと思ったわけだが、何か変だ。おかしい。

 ベジマイトの隣にある商品がベジマイトとなじまないのだ。ブイヨンとかコンソメが置いてあったのだ。少し離れてかつおだしとか。

つまりスープのもととか出汁のコーナーに、パンに塗るベジマイトが陳列されていたのだ。

 でも、アタシはすぐに納得した。商品の外見が、ビンの大きさとかラベルの色とかが、ブイヨンとかコンソメっぽいのだ。しかも、商品を手にとっても、何に使うものか書かれていなかったように思う。そんなわけで、ちょっと高級な店ではあるけれども、店員さんが間違えて置いたのだろう。

 まさかスープに使うことを勧めているわけじゃないよね。

小躍りするおばあちゃん

 先日スーパーマーケットへ行った。売り場を歩いていると、おばあちゃんが視界に入った。この店の店員さんらしい。ユニフォームを着てタブレットを持っている。そして楽しそうに小躍りしていた。目撃したアタシも何だか楽しくなった。世界中のおばあちゃんが小躍りしていたらいいのに、と思った。

2013年7月14日 (日)

配達の人とか、香りとか

 いろいろな物が我が家にも配達されてくる。自分であれ、送ってくれる人であれ、誰かが費用は負担しているわけだけど、また、その人にとっては単なるお仕事なのかもしれないけど、基本的は配達してくれる人に感謝している。暑い日も寒い日も雨の日も雪の日も家まで運んでくれるのだから。

 たまに、ちょっといかがなものか、という人はいる。「こん○○は、××便です」という声が異様に沈んでいるのである。暗いのである。元気がありすぎる人にも閉口してしまうが。数メートル先から叫んでくる人もいるからね。「△△さーん! お届け物でーす」とかなんとか。理想的なのはチャイムを押してからはきはきと言ってくれる人だな。適度な大きさの声でね。

 もう1タイプ、困った人がいる。正直、無臭の人がいいのだけど、アタシ的には汗臭い人に文句を言うつもりはない。汗をかくお仕事なんだから。女性の配達員に多いのかもしれないが、汗臭さを避けるためか、単にオシャレなのかわからないがきつい香水かなんかつけてくる人は苦手である。荷物を受け取って、扉を閉めても、しばらくにおいが残る。

 香りは好みのものならいい感じになれるのかもしれないが、好みでなければ、それは悪臭にしかならない。そして香りの好みなど千差万別なわけで。つまり自分はすてきな香りだと思っていても、その香りを嫌いな人の方が多いと考えておいた方がいいはず。特に客商売の人は。

 そういえばタバコ臭いのも嫌だな。荷物に匂いが移ってたりしたら最悪。

2013年7月 2日 (火)

歌には力が

 震災後、「歌には力がある」という言葉をよく聞く。被災地で歌った歌い手さんたちも「音楽には力があると感じた」などと感想を述べたりしている。

 たしかに音楽を聴くことで救われたり、気がまぎれたり、場合によっては人生が変わってしまうこともあるかもしれない。アタシもなんだか気が晴れないときには音楽の力を借りることが多い。

 でも歌に力があっても、歌によって世の中が変わったことはない気がする。あるのかな?

 ある歌を聴いた人々が行動を起こして世の中が一気にがらりと変わる、そこまでの力は歌にはないのだろうか。

 でも、誰かの歌を聴いた人々が何かを感じ、考え方を変えたり、行動を始めたりして、そんな人が増えていけば、少しずつ世の中は良くなっていくのかもしれない。というか、良くなって行ってほしいなあ。ねぇ、清志郎。大人なんだから、勇気を出したいね。空が暗くならないように。

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