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2013年4月

2013年4月 8日 (月)

自殺した小学生

 今年の2月に大阪府大東市の小学5年生が自殺した。「どうか小さな命とひきかえに…」と学校の統廃合を中止してほしい旨の遺書があったという。

 先日、この学校の統廃合問題はどうなったのだろうと思い、ネットで検索してみた。あまり伝えているメディアはないようだった。スポニチ(だったと思う)の記事は見つかった。結局は予定通り統廃合は実施されたようだ。

 この件に関する掲示板も見てしまったのだが、そこは自殺した小学生に批判的な書き込みばかりでびっくりした。「この小学生の行為はテロであり、テロは許されるものではない」とか「死んで要求が通るなら死ぬ小学生が増えるだろう。このような要求を大人が飲むわけない」とか。

 国や自治体のお偉方やマスコミの思惑が世の中にはすっかり浸透しているのだな。何でもかんでもテロと決めつけて「テロは許されるものではない」という決まり文句。勝手な理屈をつけて思惑を正当化するやり方。

 大東市の判断にも、ここで統廃合を中止すれば命をかければ要求がかなうという間違った印象を子供たちに与えかねない、という大人サイドの理屈がつけられていた。

 モノは言いようだ。子供サイドから言わせれば「命をかけても大人は子供の声に耳を傾けない。絶望的だ。」となるのではなかろうか。

 自殺した小学生はいきなり自殺を選んだのだろうか。先生や親に相談しなかったのだろうか。同級生と話し合わなかったのだろうか。

 近くにちゃんと話を聞いてくれる大人がいたなら自殺しなくてもすんだかもしれない。同級生と一緒になって交渉すれば違う結果になったかもしれない。

 なぜ自殺を選ぶしかなかったのか。痛ましい。

 学校の統廃合など結局は大人の都合であり、金の都合でしかないだろう。

 でもきっと子供たちは知っている。税金をくだらないことにたくさん使っていることを。ほんとうにお金がないのならともかく大人の都合で税金の無駄遣いはしているくせに学校や教育にはお金を使わないのは納得がいかないだろう。

 自殺した小学生は同級生との「絆」を大切にしたかっただけなのだ。中学生になればどうせバラバラになってしまうかもしれないが、あと1年、「寄り添い」たかったのだ。

 そこら中で「絆」とか「寄り添う」とかいう言葉が安っぽく使われているけれど、言葉がもてあそばれているだけで、中身がない。

 子供が大切にしたい「絆」も「寄り添い」たい気持ちも誰も真剣に取り合わない。

 少子化対策などと呪文のように唱える人はいても子供大切にしようという政治家や役人はいない。

 この国はどうなっていくのだろう。

2013年4月 2日 (火)

 春だけど、今日は寒いな。

 春だけど、『冬の十字架』を聴き続けているよ、ずっと。みんないい歌だけど、相変わらず『4.人間のクズ』『5.こころのボーナス』が特に気に入っている。口ずさむとスッキリする。励まされたりする。気持ちが軽くなる。しょぼくれずに済む。

 かといってひどく元気をなくしているわけではないけど。

 でも春だから、『瀕死の双六問屋』から清志郎の言葉を引用しよう。第十四話からだ。
4月だし、5月だし、春だし、木の芽時だし、誰かさんのように自殺でもするにはうってつけの季節だ。でも俺は情けない男じゃない。自分から死ぬのはいやだね。そいつはゴメンだ。だって世の中にはうまく行かないことなんて腐るほどあるだろう?(中略)なんで死ぬ必要があるんだい? しっかりしろよ。もっと、ちゃんと考えたほうがいいぜ。俺が言えるのはここまでだ。(中略)本当にみんなに言いたいことは自分から死ぬ必要はないぜっていうことなんだ。いいかい? 自分で自分を殺すことはないぜ。どうせ、いずれ俺たちは死ぬんだ。誰でも時が来れば死ぬんだよ。

 なんて春にふさわしい引用だ。

 生きていれば、今日は清志郎の何回目かの誕生日。生きたくても死んじゃう人、生きようと思えば生きられるのに自殺しちゃう人、いろいろだな。

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