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2013年2月

2013年2月26日 (火)

その本の名は

 先日書いた「これは予言なのか」で紹介した本。タイトルは『自分と自分以外―戦後60年と今』、著者はこれも片岡義男。引用した文はP.262にある。

 他にも興味深いことをたくさん書いているよ。

 これも残念ながら新品としてはもう販売されていないようだけど、中古品としてはそれほど難しくなく手に入る。

2013年2月25日 (月)

「日米関係」「米国の本質」「日本の弱さの理由」

 タイトルにした3つの事柄について知りたい、考えたいと思うのならば『影の外に出る ~日本、アメリカ、戦後の分岐点 』を読むといいと思うよ。10年近く前、日本は自衛隊のイラク派遣が問題となっていた。そのころの本だの本だ。でも著者の主張は「今」にも通用するものが多い。悲しいかな、それだけ日本が進歩していないということだな。

  次のようなことが書かれている。

◎「日米関係」について

・  小泉首相がブッシュ大統領からプレゼントされたボマージャケット(英語で書けば bomber jacket 、つまり爆撃する人が着るジャケット)の意味。

・大統領からの要請は実質「命令」。それを受け入れる首相。

・アーミテージのさりげない日本への命令。

◎「米国の本質」について

・保守、リベラルという言葉が意味するところは日本と米国で異なる。

・米国保守の考え方。過去にとらわれず文化、伝統を尊重しない。つまりあらゆるものからの自由こそがすべて。

・米国は正と邪の二分法。「敵」がいなけりゃまとまらない。

◎「日本の弱さの理由」

・米国のご機嫌を伺う日本の政治家と外務省。

・基地がなくなったら困ると考える日本人。

・戦後は米国依存が強すぎて外交、軍事をさぼってきた。

・政治機構が機能していない。

・言葉遊びが多すぎる日本の政治家。

・首相の空洞化。 

・憲法軽視。
 

 この本の作者は片岡義男である。いうまでもなく小説家だ。

 政治の分野に何のしがらみもない作者がいくつもの鋭い指摘をしている。普通の人々にもなるほどそうだったのかと思わせる記述が連続している。言葉の使い方、言葉が与える影響という小説家ならではの側面から、あるいは、日米両国の文化にもなじみ深いという立場から、日本という国、アメリカという国がどういものなんかも教えてくれている。

 強く感じたのは「日本は言葉遊びの国だ」ということ。どうとでも受け取れる言い回しにしたり、後で解釈を変えたり、言い方を変えて本来伝えるべき意味を減じてしまったり。「主体性の無さ」も感じた。自分たちはこうしたいという主張をすることなく「こんなことを言ったら相手が気を悪くするのではないか」とか「この要請を断ったら怒るのではないか」と勝手に思い込んでただひたすら波風を立てないことだけに尽力する政治家と官僚たち。だから時として外交上の問題を解決するために日本国民を犠牲にすることになるのだ。

 残念ながら新品としてはもう販売されていないようだけど、中古品としてはそれほど難しくなく手に入るようだよ。アマゾンなんかでね。図書館にもあるかもね。

2013年2月20日 (水)

ロシアに激突した小惑星の教訓

 あたりが急に明るくなったり、爆発音がしたからといって窓から外の様子を見ようとしてはいけない。ガラスが割れて凶器になるかもしれないからだ。むしろ窓際から逃げ、できればしばらく布団にでも包まるべきなのだ。

これは予言なのか

 ある本を読んでいた。2004年の7月に発売されたものだった。福島の原発爆発よりも7年くらいは前にかかれたものということだろう。こう書かれていた。

基本的人権などじつは誰も守りようがないという、半世紀前にはまったく想定外だったとんでもない状況に、いま日本はいくつも直面している。そのなかからほんの小さな例をひとつだけ拾うなら、原発の事故ないしは意図された爆発は、わかりやすくていいだろう。原発が爆発し、致命的な濃度の放射能を帯びた物質が日本列島の半分に降り注ぐ、といった自体が発生したとき、基本的人権は、どんなかたちと内容で、いったい誰によって守りえるものなのか。』

 本のタイトルと書いた人の名は後で書くけど、まったっくもって言い当てていると思わないか?

 ところで「基本的人権」がどういうものか言えるかい? 

 コトバンクhttp://kotobank.jp/word/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9A%84%E4%BA%BA%E6%A8%A9 から一部を抜粋してみよう。

 『知恵蔵2013』の解説として『人間が人間らしく生きていくために必要な、基本的な自由と権利の総称。(中略)基本的人権の内容は、当初は国家権力の干渉を排除することにより達成される自由権的人権が中心だった。人間の尊厳、法の下の平等、生命身体の安全、自由の保障、思想・信仰・言論・集会・結社の自由、移動の自由、私生活の保護、財産権の保障、公平な公開裁判の保障、罪刑法定主義、などに、参政権を加えたものである。第1次大戦後、社会国家的な考え方から、ワイマール憲法などにより、国家の積極的関与によって保障される社会保障、教育権、労働権などの社会権的人権が基本的人権に加えられた。(後略)』

 詳しくは検索して調べてみるといい。「基本的人権」は今全国的にも問題になっているようだから興味深いサイトがヒットするかもしれない。

 アタシは法律の専門家じゃないけど、福島の人たちを中心に日本人の「基本的人権」が守られていないと感じてる。放射性物質は今も放出され続けているわけで「生命身体の安全」が保障されているとは思えない。家も家財も置いたまま住んでいた場所から避難した人たちの「財産権」が保障されているとは思えない。農家の人たちは土地を追われて「労働権」を奪われている。不自由な生活を強いられて「人間の尊厳」もダメージを受けているだろう。遠くに避難している間に賠償の話がどうなるかわからないから「移動の自由」もあまりない。

 どうだい? 難しいことはわからなくても「基本的人権」が十分に保障されているとは思えないだろう?

 でも国が何とかしようという動きは感じられないし、国民の側にも何とかしようという動きは感じられない。国民は「基本的人権」が奪われていることに気づいていないのかもしれないな。

 本のタイトルと書いた人の名は別途近々書くことにしよう。

2013年2月15日 (金)

痛ましすぎる小学生の自殺

 小学校の統廃合なんぞ大人の都合でしかないだろう。子供の都合なんぞ考えていないだろう。

 大人の都合とはつまりお金の問題だ。

 子供の都合とはおそらく仲の良い学校の仲間と離れたくないということではないか。

 この男の子がスゴイのは自分を犠牲にしてでも、残った仲間たちのつながりを継続させたいと考えたところだ。

 大人たちはいつまでお金、お金と価値があるのだかないのだか不確かなものに縛られ続けるのだろうか。

 もっと大事なものがあることを忘れている。子供たちは忘れていない。大事なものを大切にしたいだけなのだ。

 
 このところいじめ問題とか柔道の暴力問題においても指導を受ける側の声が世の中に届き始めている。この小学校の子供たちの声も届くのだろうか。

『「どうか小さな命とひきかえに…」自殺男児、学校の統廃合に反対か』
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130215/waf13021513200016-n1.htm
から全文。

『 大阪府大東市のJR片町線(学研都市線)野崎駅で、快速電車にはねられて死亡した同市内の小学5年の男児(11)が残したとみられるメモに、男児が通う小学校の統廃合中止を求める内容が記されていたことが15日、関係者への取材で分かった。

 大阪府警四條畷署によると、メモは同駅ホームに残された男児のリュックサックのそばに置かれており、「どうかひとつの小さな命とひきかえに、統廃合を中止してください」という趣旨の文言が書かれていた。

閉校式、延期に

 同市教委によると、男児が通う小学校は市立小学校統合実施計画に基づき、近隣の2校と統合され、3月で廃校になることが決まっていた。同校児童は4月から2校に分かれて通うことになっており、男児は廃校について気にする様子をみせていたという。

 今月17日には閉校式が行われる予定だったが、市教委は男児の自殺を受けて延期を決めた。

 男児は14日は通常通り登校。午後4時25分ごろ、同駅のホームから線路に下り、進入してきた快速電車にはねられた。ホームのリュックサックの中には、塾の教材が入っていた。』

2013年2月 4日 (月)

悔しい人

 ふとどんな人が悔しいのだろうかと思った。タッチの差で電車に乗れなかった人とか。大事な試合で勝っていたのに終了直前で逆転負けをしたスポーツ選手とか。1番違いで宝くじの賞金をゲットできなかった人とか。いろいろ思い浮かぶね。

 もっと救われない悔しい人はいるだろうか。犯罪をしてないのに有罪判決を受けたり。

 悪いこと何ひとつしてないのに生活を破壊されたり、命を奪われたり。例えば歩道を歩いていたのに車が突っ込んできて轢かれたり。トンネルの天井が落ちてきたり。原発事故の被害にあったり。

 こうした悔しさは何らかの方法で解消されるのだろうか? 何らかの方法で埋め合わせできるのだろうか? 

 できないだろうな。

 でもせめて加害者には重い罰を与えて欲しいな。

2013年2月 2日 (土)

瀕死のすごいロック

 『瀕死の双六問屋』というタイトルは「瀕死のすごいロックの問屋」から来ている。雑誌『TVブロス』にそう書いてあったぜ。

 ほんとにすごい本だ。

 普通に読んでいると読みやすいことも手伝ってただ読み流せばいいだけのどうってことのない文章と思ってしまうかもしれない。それはかん違いさ。

 まず書き方がすごいんだ。一文が短い。従って「、」が少ない。接続詞も少ない。でもわかりやすい。文のつながりは明確だ。一文が少ないということは文の数が多くなり必然的に文末も増えるが単調になっていない。

 アタシもこの書き方をブログでマネてみたのだがついつい一文が長くなってしまったり、文末が単調になったり。自分のクセは出てしまうし。清志郎の足元に及ばぬことはもちろん承知しているが、彼の書き方を参考にするのは面白い。

 すごいのは書き方だけじゃない。一見どうってことのない文章に世の中の真理がさらりと書き込まれている。たとえばこんな調子さ。「出まかせも真実も、でっち上げも事件も全部、十把一絡げとなって電波や活字として流される。そんなものだ。」(文庫版P.32より)とか「どんな金持ちでも権力者でも朝が来るのを止めることはできないのだ。」(文庫版P.88より)とか「各地で『君が代』の公聴会とやらが催されているらしいがヤラセみてえだな。」(文庫版P.94より)とか。原発の意見聴取会もヤラセだったろ? この手のものがことごとくヤラセであることを何十年も前から教えていてくれたんだぜ。どうだい? 

 毎回、前回の話とつながりがありそうでなく、なさそうである。そんなつながりも不思議な楽しさを味あわせてくれている。

 それに文庫版の表紙の裏側には清志郎の顔写真があって、とてもいい顔してる。ファンならきっと見ておくべきだろうよ。

 毎度毎度紹介されている清志郎が好きなアーティストの気になるアルバムを見ていくのも楽しいぜ。

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